大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

金沢地方裁判所 昭和39年(ワ)341号 判決 1968年3月27日

原告 株式会社 中部機械製作所

右代表者代表取締役 横山良光

右訴訟代理人弁護士 新崎武外

被告 加藤秀一

右訴訟代理人弁護士 梨木作次郎

同 豊田誠

同 木村和夫

主文

一、原告会社の請求を棄却する。

一、訴訟費用は原告会社の負担とする。

事実

一、原告会社訴訟代理人は、「被告は原告会社に対し四七一万二、〇〇〇円およびこれに対する昭和三九年一〇月一〇日以降完済迄年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決と仮執行の宣言を求め次のとおり述べた。

(一)、原告本社は牛乳および乳酸菌飲料水処理機械(殺菌、びん詰、冠帽、洗びん等の各機械、以下単に乳機という)の製造販売業者であり、被告は以前から機械設計事務所を経営していた機械設計技師で昭和三二年頃から原告会社の依頼を受け原告会社の乳機設計をしていたものである。

(二)、ところで原告会社は昭和三七年頃からジェット式自動洗びん機および自動箱詰機の開発を企画し被告に右洗びん機の設計依頼をしていたのであるが、昭和三九年春頃から右企画を具体化するため技術部を創設することにし、同年四月一日次の条件にて被告を原告会社に雇入れた。

(1)、原告会社は被告を技術部設計課長として迎える。

(2)、被告はその経営する機械設計事務所を閉鎖し原告会社に勤務するが、他より既に受註済の機械設計を完了しその代金を受領することは差支えない。

(3)  被告の給料は月額七万円とし同年四月から支給する。

(4)、雇傭期間は特に定めないが、原告会社は被告の将来における技術上の貢献度により給料その他の面で被告を優遇するから、被告は長年月にわたって原告会社の技術開発に奉仕し、原告会社の承諾なくして一方的に退職することはできない。

(5)、被告は原告会社の現製品の技術的検討および改良のほか、原告会社が企画しているジェット式自動洗びん機の設計を完了し且つ設計課長として部下四名の指導監督にあたること。

(6)、被告は職務上知得した秘密、即ち原告会社製造機械の製法および研究課題その他これらに関する一切の資料を他に口外したり、これをもとにして乳機の製法を指導してはならない。

原告会社は以上の条件で被告を雇入れ、設計課長に任命し、同時に原告会社が製造中の機械設計図その他の技術関係資料および新製品開発のため諸外国から取寄せた文献等の一切を被告の所管に移し、且つ原告会社の技術重役と協議、検討を重ねさせた上、右各資料を研究してジェット式自動洗びん機を設計するよう指示した。

被告はその後同年六月迄の三ヵ月間は自己の設計事務所時代の残務整理に没頭し原告会社の仕事をせず、同年七月に入りようやく右残務整理が終ったというので、再び原告会社の技術重役と被告との間で前記洗びん機の設計を研究するためモデルマシンの出張見学、資料の検討等を行い、ようやく右設計の準備にとりかかった。

(三)、ところが被告は同年七月一八日盲腸炎手術のため入院したが、その後退院するや同年八月四日突如原告会社に対し理由も示さず辞表を提出した。

然し原告会社は被告の一方的な右退職申出は前記契約条件に反し承認し難いこと、また退職するならジェット式自動洗びん機の設計を完了してから退職すべきであると主張して被告に辞表の撤回を申入れたが、被告はこれに応ぜず以後原告会社に出勤しない。

そしてその後の調査によると被告は右辞表提出日の前後に原告会社と競業関係に立つ訴外富士機械製作所(訴外近吉三男経営)に乳機の設計技師として雇われ勤務していることが判明した。

(四)、被告の右行為は、第二項(4)の退職制限に違反して労務提供を拒否し、同(5)のジェット式自動洗びん機の設計を誠実に行いこれを完成すべき義務を怠たり、且つ同(6)の競業避止義務に違反したもので、原告会社に対する債務不履行であるから、被告は原告会社に対し次の損害を賠償すべきである。

(1)、二八万円

原告会社は被告に対し昭和三九年四月から七月迄一ヵ月七万円の給料を支払ったが、被告はその間自己の設計事務所時代の残務整理に没頭し原告会社の仕事を何もしなかったので、原告会社は右給料支払分の損害を蒙った。

(2)、四万五、〇〇〇円

原告会社が同年六月被告に支給した賞与であるが、右同様の趣旨の損害である。

(3)、七八万七、〇〇〇円

右は原告会社がジェット式自動洗びん機開発のため昭和三七年六月以降昭和三九年三月迄の間被告に対し支払ったものであるが、被告は結局のところ何もせずに退社したのでこれも原告会社の損害である。

(4)、五〇万円

原告会社は設計課長としての被告に原告会社所有の英国フォーズ社発刊インストラクションブックを保管させていたところ、被告はこれを紛失した、その損害である。

(5)、一六〇万円

被告がジェット式自動洗びん機の設計を完了しなかったため、その開発、生産、販売が四ヵ月遅延し、原告会社は一ヵ月の生産販売台数四台、売価一台二〇〇万円、その利益率五パーセントとして一台一〇万円、四ヵ月合計一六台分の利益一六〇万円の得べかりし利益を喪失した、その損害である。

(6)、一五〇万円

前記洗びん機の遅延により、同時に開発予定であった自動箱詰機の方迄九ヵ月の遅延を来たした。そのため原告会社は一ヵ月の生産、販売台数二台、売価一台二〇〇万円、その利益率五パーセントとして一台一〇万円、九ヵ月合計一八台のうち一五台分の利益一五〇万円の得べかりし利益を喪失した、その損害である。

以上合計四七一万二、〇〇〇円

よって原告会社は被告に対し右損害金と損害発生後の昭和三九年一〇月一〇日(本件訴状送達の翌日)以降完済迄民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うよう求める。

(五)、被告の民法六二七条による解約申入の主張について

原・被告間の雇傭契約はその期間を定めてないが、民法六二六条の五年を超える長期間を予定してなされたものであるから、その解約申入については右六二六条の規定を適用すべきである。

仮に然らずとしても、右契約条件(5)のとおり被告はジェット式洗びん機の設計を完成するよう義務づけられていたのだから、右完了迄の期間原告会社の承諾なくして退職できないと解すべきである。

二、被告訴訟代理人らは主文同旨の判決を求め次のとおり述べた。

(一)、請求原因第一項はすべて認める。

(二)、同第二項のうち、原告会社が昭和三九年春頃技術部を創設し、被告が同年四月一日原告会社に雇われたこと(その条件については後述する)、被告が原告会社に設計課長として勤務中被告個人の設計事務所時代の残務整理をしたことは認めるがその余は争う。

(三)、同第三項は原告会社が被告の退職を承諾しなかったとの点を争い、他は認める(但し被告が富士機械に入社したのは同年八月二〇日である)。

(四)、同第四項は争う。

(五)、被告の主張

(原告会社への入社と退職の事情)

(1) 被告は以前から機械設計事務所を経営し、昭和三二年頃から原告会社の依頼を受けて乳機の発明、考案、設計をしてきた。

原告会社の被告に対する入社勧誘は昭和三三年頃からされていたが、昭和三九年三月初旬頃原告会社よりその主張(2)および(3)の条件のほか「入社の際に原告会社の株式を被告に与える。原告会社の技術部長訴外糸藤義人が会社役員になったとき被告も同時に役員とする。」という具体的条件が提示され、被告は入社を決意した。

当時被告は機械設計により一ヵ月一〇ないし一三万円の収入をあげていたが、原告会社における給与は一ヵ月七万円であり、このような減収を覚悟の上で被告が原告会社に入社したのは、原告会社の株式を取得し将来その役員として経営に参加し得るという条件に期待したからにほかならない。

なお原告会社の主張する退職制限、ジェット式洗びん機の設計完成、秘密保持および競業禁止の諸項目はいずれも入社の際における条件とされてなかった。従って被告は原告会社との雇傭契約において右の如き制限および義務を課せられるいわれはない。

(2)、然るに被告が入社後一ヵ月ほどして訴外糸藤が取締役の肩書を付した名刺を使用し、登記上はとにかく対外的には取締役としての地位で活動しているにも拘らず、被告に対しては原告会社より何の音沙汰もなかった。まして持株の件などは話題にもされなかった。その後たまたま盲腸炎で入院した被告はその機会に原告会社が約束した入社条件とその履行状態を対比して考えるうち、原告会社に対する信頼を失って辞職を決意した。

なお原告会社は被告の退職を承諾してないというが、当時原告会社は被告の退職申出を止むを得ないものとして諒承したのである。然らずとしても被告は民法六二七条によりいつでも退職(解約申入)をすることができる。

(3) 被告は退職後の昭和三九年八月二〇日頃、再就職など身のふり方も決まらないまま訴外近吉三男を訪ねた。それは同人がかつて被告を原告会社に紹介したという関係があるため、辞職の報告と今後の相談かたがた赴いたのであるが、その際の話合いで被告は同人経営の富士機械製作所へ就職することになったのである。

なお原告会社は被告の右再就職について競業避止義務違反を云々しているが、元来右義務は雇傭期間中にのみ問題となるもので、雇傭終了後の競業避止義務は雇傭契約締結の際当事者間において特約された場合に、然も合理的な範囲内でのみ認められるものであるから、右特約のない本件では原告会社の主張は全く理由がない。

(原告主張の各損害についての反論)

(1)の給料について

被告が原告会社に勤務中自己の設計事務所時代の残務整理をしたことは認めるが、これは入社条件の(2)によって公認されていたものであり、また被告はその間設計課員の指導監督や幾つかの会社業務を処理している。従って被告に対する支払給料をもって損害とする原告会社の主張は理由がない。

(2)の賞与について

前同様損害にならない。

(3)の設計報酬について

被告が設計事務所時代に原告会社より依頼を受けたのはブラシ式自動洗びん機の設計であり原告会社主張の報酬は右設計について支払われたものである。なお右設計図は被告が原告会社入社前に完成し入社後は原告会社の設計課員を指導して工作図面をとらせていた。

(4)のインストラクションブック紛失について

右書物は訴外糸藤義人の所有物で同人が保管している。

(5)のジェット式自動洗びん機販売遅延損害について

元来被告には原告会社主張の如く右洗びん機の設計完成義務はないし、仮に退職せず右設計に当っていたとしてもその完成時期について科学的根拠をもって限定的に示めすことは困難である。従って被告の退職と右販売遅延の因果関係および遅延の期間に関する原告会社の主張は全く理由がない。

(6)の自動箱詰機販売遅延損害について

前同様の理由に加え、更に自動箱詰機は当時の被告の業務内容と全く関係ないことで、主張の如く因果関係を波及させていくこと自体すでに根拠がない。

以上のとおりであるから原告会社の請求はすべて棄却されるべきである。

三、証拠関係≪省略≫

理由

一、原告会社が主張の如き乳機の製造販売を業としていること、被告がもと機械設計事務所を経営していた機械設計技師で昭和三二年頃から原告会社の依頼を受け原告会社の製造販売する乳機の設計を請負っていたこと、原告会社が昭和三九年春頃技術部を創設し同年四月一日被告を原告会社に雇入れ技術部設計課長に任命したこと、被告が同年八月四日原告会社に退職を申出で、以後原告会社に出勤せず、その後ほどなく原告会社と競業関係にたつ訴外富士機械製作所(近吉三男経営)に設計技師として就職し同所において乳機の設計を担当していること、以上の事実は当事者間に争いがない。そして原告会社が被告の右退職申出を拒否し承諾しなかったことは本件各証拠によって明らかである。

二、ところで原告会社は、被告には原・被告間の雇傭契約(以下本件雇傭契約という)において約定された請求原因第二項(4)ないし(6)記載の条件に違反した債務不履行があると主張する。

(一)、然し先ず(4)の「退職制限」に関する原告会社の主張は理由がない。即ち、原告会社の主張によっても本件雇傭契約においてはいわゆる最小期間の定が明示されてないのであるから、被告はいつでも何ら特別な理由を要せず右契約の解約告知をすることができる。従って原・被告間の雇傭関係は原告会社の承諾の有無に拘らず被告が退職申出をしたことに争いのない昭和三九年八月四日から二週間を経過した同月一八日に終了したことになる。

この点につき原告会社は本件雇傭契約については民法六二六条を適用すべきものと主張するが、本件雇傭契約が労働基準法の適用を受くべきことは原告会社の主張自体によって明らかであるから同法一四条、一三条によって民法六二六条の規定は適用し得ず、また被告はジェット式自動洗びん機の設計完了迄原告会社の承諾なしに退職できないという主張も、被告が原告会社に雇われたのは技術部設計課長として原告会社の現製品の改良および新製品の開発(ジェット式自動洗びん機を含む)という一般的事項を目的としたもので、ジェット式洗びん機の設計という特定事項の完成を目的としその完成迄の期間を明示して雇われたものでないことは原告会社の主張自体によって明らかであるから、被告は右設計完了迄原告会社の承諾なしに退職できないという主張もまた理由がない。

(二)、次に(5)のジェット式自動洗びん機の設計完成義務の点についてであるが、≪証拠省略≫によれば、被告は原告会社より昭和三七年頃からブラシ式自動洗びん機の設計に関する依頼を受け、昭和三八年頃からはノン・ブラシ式自動洗びん機の設計に関する依頼をも受け、昭和三九年四月原告会社に入社した当時は既にブラシ式自動洗びん機の設計を完了し、入社後は設計課員にその工作図面の製図指導を行っていたところ、同年七月初旬頃原告会社より右ブラシ式自動洗びん機の本体を改造利用してジェット式自動洗びん機を設計するよう業務命令を受け約三ヵ月でこれを完成すべく準備に入り、同年七月一八日盲腸炎手術のため入院する迄の間右洗びん機設計のための線図を作成中であったことが認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。

ところで原告会社は被告に対する右業務命令によって被告がジェット式自動洗びん機の設計を完成する義務を負ったと考えているようであるが、右命令によって原・被告の関係が雇傭から請負に変ったものではないから、被告としては設計課長(従業員)として会社の右命令に忠実に従い作業をすれば足り、請負人の如く依頼された仕事を完成しなければ債務不履行になるという意味での仕事完成義務を負担したものではない。

従って前認定のとおり被告が原告会社の命令に従い右洗びん機の設計業務に従事していた以上、それがたまたま線図作成段階に止まり設計図を完成するに至らず退職したからといって被告に雇傭契約上の義務違反の問題は生じない。

(三)、次に(6)の競業避止義務についてであるが、一般に労働者が雇傭関係継続中、右義務を負担していることは当然であるが、その間に習得した業務上の知識、経験、技術は労働者の人格的財産の一部をなすもので、これを退職後に各人がどのように生かし利用していくかは各人の自由に属し、特約もなしにこの自由を拘束することはできないと解するのが相当である。

そして原告会社主張の本件契約条件(6)は≪証拠省略≫によっても、それは被告が原告会社に設計技師として雇われ勤務中の期間当然に遵守すべき義務を注意的に述べたにとどまり、それを超えて被告の退職後も右趣旨の義務を課し競業他社への再就職を禁止する特約をしたものと迄は認め難い。

してみれば原・被告間の雇傭関係が被告の解約申入によって昭和三九年八月一八日をもって終了したことは前記のとおりであり、被告が富士機械に就職したのは証人近吉三男の証言と被告本人尋問の結果によれば同月二〇日と認められこの認定に反する証拠はないから、先に述べた理由によって被告に競業避止義務違反はなく、原告会社の主張は採るを得ない。

三、以上説明のとおりで被告の退職制限、ジェット式自動洗びん機設計完成義務、競業避止義務に関する原告会社の主張はいずれも理由がないが、更に原告会社の主張する個々の損害項目について言及すると、

(1)の給料と(2)の賞与ならびに(3)の設計報酬に関しては前項二の(二)における認定事実によって原告会社の主張が理由のないこと明らかであり、

(4)の書物については証人上川幸作(第一回)の証言中には原告会社の主張にそう部分もあるが、右は証人糸藤義人の証言に対比してにわかに措信し得ず、他にこれを認めるに足りる証拠はなく、

(5)のジェット式自動洗びん機と(6)の自動箱詰機の各販売遅延による損害については、先ず被告が昭和三九年八月四日に辞表を提出したまま以後出勤せず、従ってその後雇傭関係が終了する迄の二週間原告会社を無断欠勤し故意に労務提供を拒否したことは明らかであるが、被告の二週間の労務不提供と原告会社主張の販売遅延との相当因果関係についてはこれを認めるに足りる証拠がない。

四、以上のとおりで原告会社の本訴請求はすべて理由がないから棄却することにし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 井野場秀臣)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例